本ブログの以下の記事で、原作未読で映画を見た際の感想を記載した。
【映画感想】メッセージ【ネタバレ無し】 - 椅子と椅子の間から観る
原作の短編小説を読み終わったが、
原作と映画版で大きく展開が異なっていることに驚いた。
しかし、どちらにもそれぞれ良さが有ったので、
改めて感想記事を作成。
※原作と映画版両方のネタバレを含みます
■大きく異なるストーリーについて
映画版では後半、各国の主導権争いが始まり、
中国がヘプタポッドへ攻撃を開始しようとするシーンが山場となる。
これらの展開は、原作では一切存在しない。
暴走した軍人が爆弾を仕掛けるといった展開も原作には無し。
映画用に見栄えのする「盛り上がるシーン」を追加したのだろう。
これは批判するわけではなく、
映像化するにあたって面白くする為の取捨選択と追加であったと思う。
原作にはない緊迫感が有り、非常に良かった。
原作は終始、淡々とヘプタポッドとのやり取りを行い、
主人公がヘプタポッドの言語を扱えるようになった事で、
「未来が見える」ようになって話が終わる。
そこに至るまでの過程と演出が非常に面白いのだ。
■フェルマーの(最小時間の)原理
本ブログのメッセージ感想記事でも触れたが、
映画版では物理学者の存在感が非常に薄く無駄なキャラクターに感じられた。
しかし、原作では物理学者の語る『フェルマーの原理』が重要な要素になっている。
これは映画版では完全にカットされている部分となる。
『光は光学的距離が最短になる経路、
すなわち進むのにかかる時間が最小になる経路を通る』
という物である。
光は空気中から水中へ入る時、空気と水の屈折率の差から方向を変える。
この際、『光は進むのにかかる時間が最小になるルートを通る』のだ。
となると、
『光は予め、自分が到達する地点と、
そこまでの経路の情報を知った状態で出発しなけらばならない』
という、地球人類の感覚からすると非常に奇妙に感じる因果関係になってしまう。
地球人類からするとフェルマーの原理は難解な数式を用いる必要があるが、
どうやらヘプタポッドにとってはごく簡単に表す事ができる物のようだ。
そこに着目する事で、
ヘプタポッドの物理学や数学の体系を解明できるかもしれない。
……というのが原作小説での流れとなっている。
メッセージを見た人であれば、この説明でピンと来るだろう。
ヘプタポッドにとって「時間」とは過去から未来に向かって流れる物ではなく、
現在も未来も同時に認識できるという物なのだ。
ヘプタポッドの持つ時間の概念からすれば、
フェルマーの原理が奇異に感じる物ではない、
というのがこの作品において重要なポイントになる。
ヘプタポッドの文字は一つの複雑な図形に様々な意味が内包されており、
図形一つで文章のようになっている。
ヘプタポッドが1本目の線を引き始めた際、
地球人類にはそれはただ1本の線にしか見えないが、
ヘプタポッドからすれば図形全体の意味する文章の構成を予め把握した上で
書き始めているのである。
ここでもフェルマーの原理とヘプタポッドの言語の関連性が見える。
■映画では「原作の持つ良さ」が大幅に失われている
上記のように、映画版では原作で重要だった部分が大幅にカットされている。
また、「主人公が未来を思い出す」演出も、
文字だけで表現する小説ならではの演出で非常に魅力的だった。
映画以上に未来と現在が入り組んだ構成になっており、
テッド・チャンの発想の斬新さと文章の構成力にただただ驚くばかり。
それらの良さは映画版では表現しきれていない。
原作小説の「あなたの人生の物語」の良さは、
映画版では6~7割程度しか再現できていないのでは、
というのが個人的な印象である。
ただ、だからと言って映画版の評価が下がるわけではない。
フェルマーの原理を説明するシーンを映画に入れると、
ほとんどの人が寝てしまう退屈極まりないシーンになる事は間違いない。
先に述べたように、
山場となるシーンを作る事で緊張感が出て「映画」として面白くなっているし、
美しい映像やこだわった音響で
原作の持つ独特の雰囲気を表現していたのが素晴らしいと思う。
■原作小説の日本語訳の酷さ
これは原作そのものの問題点で無いのだが、言及せずにはいられなかった。
異常にひらがなが多く、目が滑ってしまうのだ。
「あなたのおとうさんがわたしにある質問をしようとしている。」
といった具合。
この作品の一番最初の文章がこれなので、
読むのを止めようかと思ったくらいだ。
「あなたのお父さんが私にある質問をしようとしている。」
で良いだろう。
「アルジャーノンに花束を」のように
ひらがなが多く稚拙な文章である事に意味が有るわけでもないし、
なぜこのような翻訳になっているのか、
非常に不思議に思いながら読み進めた。
また、全体的に直訳と言うか、あまり意味が通っていない台詞が多く、
会話が成り立っていないように感じる事が多かった。
ゲーマーなら分かるかもしれないが、
「オブリビオン」や「スカイリム」で見るような文章だ。
海外のSF小説を読もうと思うと、この問題にぶち当たる事が多い。
翻訳者次第で作品の面白さや魅力が大きく変動してしまう。
「あなたの人生の物語」の翻訳は今まで見た中でもかなり読みづらいと感じたので、
できれば新訳版が出ないだろうかと願っている。